[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ふわふわとした感触が心地よくて、Jはゆるりと唇の両端を吊り上げた。
幸せであたたかい夢を見ていた気がする。ひどく満たされた気分で、漂う薄闇が心地よかった。
もっともっと、と貪欲に叫ぶ胸の内に応えて、もぞもぞと姿勢を変える。もっと満たされたい。もっと近づきたい。そう思って身じろいだのに、肩の辺りに感じていた、ぬくもりが刻むテンポが不意に離れる。
悲しくて寂しくて、意識がふっと表層に近づく。深い深い闇の中から、瞼が薄明かりを感じるほどまで。そのまま目を開けようかと思ったけれど、今度は額にぬくもりを感じて、意識は再び闇の中へと沈んでいく。
ゆるゆると髪を梳く誰かの手。
はじめはひやりとしていた指の感触が、だんだんぬくまってくるのが幸せだった。そっとそっと、規則正しく触れてくれるぬくもり。
「お誕生日、おめでとう」
何層もの泡の向こうから響くような、不思議に遠い音だった。
ぼんやりと薄らいで、滲んで、曖昧に溶ける音。近くて遠い、やさしい音。
髪を梳いてくれる指先は、ぬくまったけれどもまだひやりと冷たかった。
やさしい音は、もう聞こえることはなかった。
でも、ずっとそこにいてくれて、ずっと触れていてくれて。
どんな贈り物を受け取ったときより、どんな祝詞を手向けられたときより、ひどく満たされた気分でJは薄闇に身を委ねる。
今日という日の終わりに、あなたが傍にいてくれることが幸いなのだと。
そして目覚めたときに再び出会えることこそが、何よりの幸いなのだと。
Fin.
***
Jくんお誕生日祝賀小説ミラーバージョンでした。
こっちにも何かあるな、と思ってくださったあなたに感謝を(笑)。
ごっちゃりなってしまったものの、サイトの方にも一本上げてありますので、まだの方はそちらもぜひ。
Jくん、お誕生日おめでとう!
小さく小さく口ずさみながら、Jは夕暮れの階段を軽やかに下っていく。片足ずつ、大げさなまでに宙に蹴りだして、リズムをとって唄を紡ぐ。
鞄を揺らして、紙袋を揺らす。長く伸びた影が一緒になってゆらりと躍る。石畳の上で、不規則にステップを踏む。
Trick or Treat.
Trick or Treat.
I want something good to eat.
風が駆け抜けて、地面に横たわる街路樹の影がいっせいに揺れる。ざわざわと歌いながら、頭上から枯葉の雨を降らせる。地面にやってきた落ち葉たちは、そこかしこで渦を描く。風に踊ってくるくると。
Trick or Treat.
Trick or Treat.
歌い、謡い、謳え。覚えたばかりのメロディーをなぞりながら、Jはハロウィン色の道を行く。
暗がりの黒。夕日の橙。狭間の空は、蒼と藍と紫と。
かさかさと、袋の中でセロハンが鳴く。ちっぽけなお菓子たちは、今日のパーティーで貰ったもの。教師たちが用意したものも、パーティー用に準備されたものも、各家庭からの有志による心遣いも。
この日にあわせての調理実習で作ったクッキーは、なかなかいい出来だった。さくっとしていてほのかに甘くて、見た目もおいしそうに出来上がった。年少学年の子達による仮装もかわいかったし、同学年や上級生の、希望者による仮装は力が入っていて迫力があった。先生たちもそれぞれに着飾っていて楽しかった。
Give me something nice and sweet.
Give me candy and an apple, too.
And I won't play a trick on you!
階段を抜け、緩やかな下り坂に出る。吹き抜ける風は少し冷たいけれど、コートを出すにはまだ早い。ブレザーの襟を心持ち直して、片手ずつに持っていた鞄と紙袋を右手にまとめて足を速める。
――Trick or Treat. Trick or Treat.
それは誰のセリフだろう。
お菓子をくれなきゃいたずらするぞ。本当にホントに、それだけなのか。
かぼちゃのランタンとろうそくと、楡とハシバミとヒイラギと。
ハロウィンに必要なものを取り揃えて、そして防ぐのは誰のいたずらなのか。いたずら小僧か、いたずら子鬼か、意地悪な魔女か。
影が消える。雑踏に紛れて、影が見えなくなる。思わず振り返って夕日を探して、建物の向こうに隠れてしまったその姿の代わりに、今にも消えそうな橙の雲を見る。
闇に紛れそうで、やわらかなオレンジの光がないのが寂しくて、Jは一層足を速める。
――Trick or Treat. Trick or Treat.
いたずらもお菓子もいらないから、かぼちゃのランタンを作ろうと思う。
ランタンが作れないなら、せめてろうそくを灯そうと思う。
雑踏を縫って、Jは駆けていく。灯りはじめた街灯を道しるべにして、還るべき場所へ。
Fin.
***
ハロウィン小話でした。
イベント跡地の『夜明けの晩に』とちょっと被っていますが、その年のハロウィンのつもり。
ちょっとわかりづらいですが、『夜明けの晩に』も『Trick and Treat!!』も、ハロウィン当日ではないんです。
このお話が当日編。
「豪!豪ってば!!」
「あー?」
廊下から響く兄の声に、自室で扇風機を回しながらテレビとゲーム機を同時稼動という、冷ましているのか熱しているのかわからない状況を繰り広げていた豪は、首から上だけを仰け反らせて、廊下に続く入り口を見やる。
この後に続くセリフは、なんとなく想像できる。
――お前まーたゲームばっかやって!
とか、
――いい加減にそこクリアしろよなぁ。
とか、
――宿題やったのかよ!?
とかとか。
とりあえず、きっと耳にやさしくない辛辣なお言葉が飛んでくるはずだ。
やる気のない、まったく気のない振りをしつつ、豪は内心でぐっとこぶしを握り締める。烈のそんなひと言ひと言に、実は結構ぐっさりと心を抉られているのも事実。そして、そんなことは微塵も悟らせたくない、男としての意地のようなものがあるのも事実。
ゲームもやめない。攻略方法も聞かない。宿題もしない。
よし、と心中で己の反応をなぞりなおし、豪は視界の中、上下逆転している兄の瞳に焦点を合わせる。
「ほら、今日は出かけるって言ってたろ!?さっさと行くぞ!」
「えーっ!?だって、おれ、ようやくここまで来たんだぜ!」
「知るか。ほら、準備して!」
思っていたこととはまるでかけ離れたセリフに、肩透かしを喰らいながらも豪は反論する。だが、年の功に頭の良さが加われば、そんな程度の抵抗はあっという間に封じ込められてしまう。
どうせセーブしたばっかだろ、のひと言と共に、視界から消えた兄の手が、無情にもゲーム機のリセットボタンを押す。
「あーっ!!」
「うーるーさーい。ほら、みんな待たせてるんだから!」
「みんな?」
仰け反っていた状態から戻り、その勢いでぱたりと床に倒れ伏し、豪は恨みがましげな視線を烈に向ける。もっとも、烈がその程度を気に掛けることもなく。
「お前、もしかして、ほんっとうに忘れてるのか?」
「だから、何の話だよ?」
心底呆れた様子で目を見開いた烈は、そのまま天井を仰ぎ、額に手を当てて大袈裟にため息をつく。とりあえず最上級の見下し方をされたことに勘付いた豪はますます不機嫌さを募らせるが、烈は一変、生真面目な顔でびしりと豪の鼻面に人差し指をつきつける。
「今日、何月何日?」
「えー?」
言われて、カレンダーを見やって。
そうしてようやく、一枚めくられていることに気づいて。
「八月一日?…って、おれの誕生日!」
「そうだよ。で、みんなでプールに行こうって、約束してただろ?」
せっかくの誕生日だから、みんなで遊んで、それからイブニングパーティーとしゃれこもうと、そう約束していたのだ。
わなわなと震える豪の鼻先をちょんとつつき、烈はにいっと笑いかける。
「お前、自分の誕生日すら覚えていられないんだな」
情けない、と言われても、今度は豪に返す言葉はない。ううっと唸るそこに、玄関のチャイムと、母親の軽やかな声が響く。
「烈ー、豪ー、みんながお迎えに来てるわよー?」
「はーい、すぐ行く!」
ひょっこりと廊下に顔をのぞかせ、玄関を向いて「待たせてごめんね」と笑いかける烈は、ちゃっかりとプールセットを握り締めている。
「え、あっ、おれも!」
置いていかれてはならないと、慌ててその後に続いた豪に、玄関に雁首をそろえていた友人たちが、やっぱり、といった微苦笑をもって出迎える。
「待ちくたびれて迎えにきちまったぞ」
「やーっぱり、こんなことじゃないかと思ったんだす」
「ま、それでこそ豪くんでげすな」
「プール、行くよね?」
笑顔といつもの言葉。それだけなのに、豪は先ほどのゲームをやっていたときより、気分が高揚するのを知る。
「ほら、豪。みんな待たせてるんだから、早く準備!」
「はいっ!!」
思わず立ち止まってしまった豪の背中を、烈がバシッと叩いて促す。反射的に背筋を伸ばして勢いよく返事をすると、いっせいに笑い声が上がる。
もつれそうになる足で階段を駆け上がろうとしたところに、そして、もう一度。兄から呼び止める声がかかる。
今度は何事かと、あせりながらもつい振り向けば、大切な仲間たちの最高の笑顔と大合唱。
「お誕生日おめでとう!」
そのひと言をもらえただけで、今日は最高の一日。
***
豪くん生誕記念小説でした。
ネットサーフィンでふらふらと文字と画像の海を漂っていたJは、ふと興味をおぼえた文字列に、マウスをあわせる。
「影が、薄いんだ?」
「どうかしたのかい?」
クリックし、さらに詳しく書いてあった記事を興味深げに読んでいたJは、思わず口をついた単語に返ってきた予想外の声の存在に、びくりと肩を震わせる。
「ああ、ごめんね。驚かせる気はなかったんだよ」
「いえ、大丈夫です。ちょっと、びっくりしただけですから」
「で、何の影が薄いんだい?」
振り仰いだ先には、やわらかく笑む土屋の双眸がある。二、三度瞬きを繰り返して跳ね上がった鼓動を落ち着けると、Jもまた軽く笑みを返す。そして、やはり興味深げにディスプレイを覗き込んでくる土屋のために、少しだけ椅子をスライドさせる。
Jのさりげない気遣いに小さく礼を述べ、件の記事を一読した土屋は、複雑な表情で子供を見下ろす。
「まあ子供にとって、母親は父親より、一般的に存在感が強いものだからね」
「母の日はまあ、ボクにもわかる気がします。でも、土用の丑の日より、節分よりも祝われる率が低いんだそうです」
「うーん、なんだか切ない話だねえ」
この子には、血の繋がったいわゆる本物の家族がいない。それを気にして母親だの父親だのという単語をなるべく避ける習慣は、つい最近まで続いていた。気にしないから、もう昔の話だから、そうやって過剰に気遣われる方がかえって辛いのだと本人に訴えられ、ようやく話題を選んだり単語を外したりすることはなくなってきた。
それでもまだ、やはりこの手の単語を口に出すときは、表情に痛みが走る。傲慢だと、誰かを哀れに思うのは、時に一方的で身勝手な感情になるのだとわかっている。でも、抑え切れないのだからどうしようもない。
土屋の複雑な表情をちらりと見やったJもまた、複雑な笑みを浮かべる。仕方ないといわれているようで、悲しいと訴えられているようで。土屋はしょんぼりと、胸の中で項垂れる。
もう少し、努力の時間が必要だ。
「世間一般の話は、まあ、おいておくとして。ボクは、父の日のほうが大切だと思う派ですよ」
ふと明るいJの声で、土屋は知らず俯いていた視線を上向ける。いたずらっぽい表情で斜めに振り返るJは、疑問の色を呈している土屋に、やはり明るく笑いかける。
「だって、お母さんはいないけど、お養父さんはいるから」
さらりと、あまりに嬉しくて心の奥底にまで響く言葉は、一旦通り過ぎて、それからじわじわと感触となって戻ってくる。まじまじと眼下にある蒼い瞳を見つめれば、ふんわりとやわらかく、その色が和む。
「今年も、お祝いしましょう。プレゼントを用意しておきますね」
「…楽しみにしているよ」
嬉しくてくすぐったくて、土屋はくしゃりと、Jの金糸をやや乱暴にかきまわす。
くすくすと幼子のように笑い声をあげ、Jはディスプレイ上にいくつも立ち上がっていたウィンドウを閉じ、パソコンをスタンバイ状態にもっていく。
「博士、一区切りついていますか?」
「ああ、ちょっと喉も渇いたし、キッチンに行こうと思っていたところだよ」
そして通りがかったJのところで、ついうっかり油を売ってしまったのだ。
「ボクも行きます。お茶、ご一緒させてください」
「うん。ついでにちょっと、おやつでもつまもうか」
先日出張から帰ってきた所員が、お土産にスイカを買ってきてくれた。そのことを話せば、Jはやはり、声をあげて楽しそうに笑う。夏本番にはまだ間があるが、暑い日が続く最近には、嬉しい差し入れだ。
廊下を並んで歩きながら、土屋は薄く微笑んだ。
世の中の七割弱の父親諸君、羨みたまえ。
私の優秀な愛息子は、どじで間抜けなこの義父のために、父の日をこそ祝ってくれる。
***
父の日小説です。
未来設定、かな?
元ネタは、私が実際に見たとある記事より。
世の中のお父さんたちには悲しい事実ですが、きっとここの二人には微塵も関係ないと思ったので(笑)。