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文字通りの掃き溜め。覚書とも、下書きとも。
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ファンタジーとか RPG とかパラレルとか、そんな感じ。
サイト階層が終わるまで、ゆるっと小分けに掲載していこうかと。
苦手な方はご注意ください。

 世界はかつて、混沌から生まれたのだという。
 有も無も、在って無きに等しく、されど確かに在る混沌。そこに秩序が生まれた経緯を識るものは、いまやない。
 識るものはないが、語るものはある。神官であったり、詩人であったり、あるいは母が子に、寝物語に。ただ連綿と、言の葉だけが遺されてきた。
 神が有と無を分け、秩序を織り、命を紡いだのだと、神話は伝える。なるほど、神にならばその力があるだろう。全ての命を統べるもの。総ての事象を統べるもの。すべての奇跡を統べるもの。祈りには報いを、信仰には奇跡を、背徳には赦しを。神の御業なくして世界は立ち行かず、神の秩序を享けて人は生きる。
 しかし、神はどこに消えたのかと、人は問う。御業は残された。秩序は遺された。恩寵は与えられた。されど神と、神の従僕たちと、語る術は消え、謁える術は消えた。いまはただ、力の残滓を啜るだけ。御業の余韻に浸り、恩寵の残り香に縋るだけ。
 人は神に追い付いたのだと、誰かが言った。奇跡は人の技で代用が叶うようになった。神への畏敬は、いつしか廃れていった。ひれ伏し、乞い願うのでなく、降し、命じることで従えるようになった。そうあるべきと思うようになった。そしていつしか、神は消えた。奇跡は失われ、秘蹟さえ費えた。遺されたのは、わずかな欠片だけ。痕跡を、轍を、人は辿り、奪い合い、争うようになった。人の技では飽き足らず、神を屠るだけでは飽き足らず、すべてを統べることを望むようになった。
 一度目は、世界に秩序をもたらすために。
 二度目は、世界から幻想が消え去るために。
 そして三度目。神を失った世界は、神を望むようになった。
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