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なにやら影は自己完結していたようだったが、レツはまだ納得がいかないし、それは残る面々も同じだろう。穏やかに見つめてくる蒼い双眸をまっすぐ見返し、おもむろに深呼吸をひとつ。
「話をしよう。僕はまだ混乱してるんだ」
「わかりました。マスターとお呼びすれば?」
「それも、やめよう。僕はレツっていうんだ。名前で呼んでくれればいいし、見た感じ年齢も近いから、君さえよければ敬語もなしで」
確認口調で願い出れば、影は気さくな調子で頷いて「その方がありがたいな」とうそぶく。召喚当初の剣呑さはどこへやら。人好きのする笑顔に思わず肩から力を抜いたレツは、呻くように落とされた声に首を巡らせる。
「……兄貴、それでいいのか?」
「それって?」
「だからっ! そいつが兄貴のサーヴァントでいいのかって聞いてんだよ!」
声の主は、未だレツの眼前に立ちふさがったままの弟のもの。いつになく硬く刺々しい口調は、警戒心が微塵も解けていないことを如実に語る。
「術師にとってサーヴァントがどんだけ大切か、オレにだってわかるんだぜ? こんな、わけわかんない幽霊みたいな――」
「黙れ」
構えた武器もそのまま、今にも斬りかからんばかりの勢いでまくし立てられた口上を、今度はレツの冷え切った声が遮った。
もはや条件反射としか呼べないだろう素早さでびくりと震え、口を噤んだ弟を見やり、レツはきょとんと目を見開いている影に頭を下げる。
「ごめんね、弟が失礼なことを。ゴウ、お前も謝れ」
「な、なんでオレがっ!?」
「どれだけ失礼なことを言ったかわかってないのか? わかってるなら謝れ。わかってないなら、その分も含めて謝れ」
冷厳と告げ、しかし素直に謝るはずもなくそっぽを向いてしまった弟をちらと見やり、レツはその左右に立ったままでいる仲間たちにも声をかける。
「リョウくんも、トウキチくんも、少し移動しよう。腰を落ち着けて話をしたいんだ」
「構わんが、隊に連絡はしなくて平気か?」
小さく頷き、問いを返したのは背の高い方の青年。対して答えたのはレツではなく背の低い方の青年である。
「召喚式の後の疲れ具合は、個人差が大きいでげすからね。今日中に戻れば、うるさくは言われないでげすよ。それに、どう誤魔化すかも含めて、今のうちに話し合っておきたいでげすしな」
言ってレツに手を差し伸べながら、青年はちらと影に視線を流していたずらげに笑ってみせる。
「その点では、とても話をわかってくれそうな人で良かったでげす」
ぶすくれる一人を半ば引きずるようにして場所を移し、四人は遺跡の傍にあった朽ち果てた井戸の脇にそれぞれ腰を下ろした。このあたりは見知っていると、周囲を懐かしそうに見回しながら歩いてきた影は、座ろうとはせずに手馴れた様子で蔦を掃い、井戸の底を覗き込んでいる。
「どうかしたの?」
手早く状況把握に入りたがったレツを制してまでやりたがったことが、水底の観察というのはどうにも理解しがたい。訝しさを隠しもせずにその背に問いかければ、驚愕と困惑とはにかみの混ざり合った表情が振り返る。
「水を分けてもらえるように頼んだんだ」
言って体が向きを変えれば、その手にはいつの間にか水を湛えた透明な椀が乗せられている。
「えっ? それ、どこから出したの?」
影がそれを持っていた記憶はないし、マントの下にもそんな物を収納しているような様子は見られなかった。目を丸くしているのがレツ一人でないことから、それがただの思い込みでないことは確か。驚愕と不審の視線に、しかし影は動じた様子もなくそれをレツに渡してから、少し離れた適当な瓦礫の上に音もなく腰を下ろす。
「ここは水精を祀った神殿だったから、巡る水が特に力を持っている。回復にも役に立つよ」
だから飲めと、その意図はわかるものの、質問の答にはなっていない。どうしたものかと手の中を見下ろしているレツに、何を勘違いしたのか影は「毒なんか入っていないよ?」とのたまう。あまりにもあどけないその様子に毒気を抜かれ、レツは礼を言って渡された椀の中身をあおった。
いくら相手が「怪しくない」と言っても、その存在そのものがどこか怪しいのだから、説得力などないにも等しい。だというのに躊躇いもなく渡された水を口にしたのだから、レツと影を除く面々の驚愕は、ごく当然といえるだろう。だが、それ以上に驚いたのは自分だと、レツは目をしばたかせる。
「どう? 少しは楽になった?」
「……スゴイ」
「よかった」
感想には誇張も虚飾も含まれてなどいない。飲み下すその先から、体中に細かな光が走り、満ちる錯覚に陥る。召喚後からずっと感じていたどうしようもない虚脱感が拭われたことを察したのか、素直に喜びを示し、影は目を細めて笑う。
「気配がずいぶん薄いから、効くかどうかは半々だったんだ」
独り言にも近い説明では、何が言いたいかもわからない。どうやらこれが影の話し方の特徴らしいことは理解できてきたが、放置していては話が進まない。改めて水の礼を述べ、そしてレツは気を取り直して慎重に言葉を選ぶ。
「これ、どうしたの? それに、気配とか効くとか、どういうこと?」
示したのは手の内の椀。本当に、気がかりなことがあまりにも多すぎる。ただの亡霊だと言っていたが、こんなに訳のわからない人間の霊魂があってたまるかというのがレツの言い分だ。
矢継ぎ早に質問を繰り出せば、ぱちぱちと目を瞬かせる影を見かねたのか、先ほどよりも幾分調子を和らげた青年がそっと口をはさむ。
「時間はあるんだ、落ち着け。まずは自己紹介から、だろう?」
互いに名前さえ知らないと、ある意味当然のことを指摘されたレツは、ばつの悪さに頬を染めて口ごもりながら俯いた。
軽い自己嫌悪に陥っているレツに宥めるような微笑を向け、改めて青年は影に向き直った。
「さっきは武器を向けて悪かったな。俺はリョウという。傭兵で、今は公国軍に所属している」
「わてはトウキチというでげす。商家の出身でげすが、社会勉強と商売を兼ねて従軍しているでげすよ」
簡潔な自己紹介を引き継ぐように、次いで口を開いたのはもう一人の、一番背の低い青年。軽い会釈に礼を含ませ、影は息を吸い込む。
「ボクは――」
「あ、ちょっと待って。先にこっちの自己紹介をしちゃうから」
それを遮ったのは、自己嫌悪から戻ってきたレツの声。つられて影が視線をそちらに向ければ、弟の頭を無理やり掴んでいるレツと目が合う。
「僕はレツ。公国軍の術師だよ。武術では剣が比較的得意かな。で、こっちは弟のゴウ。やっぱり公国軍に従軍している」
「……オレはお前を信用したわけじゃないからな」
ぐいっと頭を前に突き出され、不機嫌さを隠そうともせずにゴウは唸る。途端にレツのこめかみと手に力が篭もったのは見て取れたが、ゴウはぷいっと目を背けるだけである。
「ごめんね、普段はこんなんじゃないんだけど」
しばらく無言の応酬があったようだったが、諦めたのはレツだった。溜め息混じりに頭を下げられて、影はふるりと頭を振ると穏やかに微笑む。
「疑うのは当たり前だよ。サーヴァントのつもりで亡霊を引っ掛けたなんて、きっと前代未聞だろうし、ボクもさっきは気が立ってたし」
だから気にしてくれるなと、言いながら細める瞳の奥には深い光が満ちている。
見かけはレツたちとそう年齢が変わらないのに、まるで老人のような、深く深く、清濁を併せ持つ昏い光。胸の奥底までを見透かされる錯覚に、レツは小さく息を呑む。それを知ってか知らずにか、影は瞬き一つでその光を拭い去り、にこりと笑って口を開く。
「ボクはジェイ。言って通じるかはわからないけど、剣士として公爵軍に所属していたんだ」
「公爵軍? もしかして、独立前の時代の人?」
「君たちが言う公国が、サヴィール公爵閣下の所領が帝国から独立したそれならば、そうだね」
ぎょっとした様子でレツが問い返せば、気負った風もなくさらりとした答えが返る。
「だったら、俺たちの大先輩ということだな」
「感慨深いでげすなぁ。これで独立戦争を知っていたら完璧なんでげすが、どうでげすか?」
思わぬ共通項に、ぴりぴりしていたゴウでさえ好奇心に目を向ける。関心、あるいは野次馬根性とも呼べるだろうそれに突き動かされた面々に表情を微塵も変えることなく、ジェイは穏やかな笑みのまま小首を傾げる。
「定義づけは後世の人間の仕事だよ。確かに帝国と戦争はしていたけど、結末を見届けていない以上、あれが君たちの言う“独立戦争”にあたるかはわからないな」
理屈はもっともである。だが、それこそ後世の人間だからこそのキーワードがそこかしこに転がっていたのも事実。
「公爵が帝国と正面切って戦争をしていたのは、独立戦争だけだから、きっとそうだよ」
「じゃあ、閣下は勝たれたんだね。君たちが公国と呼び習わすぐらいなんだから」
良かった、と。呟きは小さかったが、その重みは果てしなかった。
そっと双眸を細めて地に向けられた視線に滲むのは哀切。それを見て、レツたちはようやく思い出す。彼は一度、この世界で過ごすべき時間に終焉を見ているのだという事実を。
口の端に浮かんだ穏やかな笑みはそのまま、ジェイはゆるりと目を上げる。
「それは、水精たちに頼んで作ってもらった器だよ。水でできている。冷たくない氷、って言えばわかりやすいかな?」
視線の先には、レツの手の内の器。話題の転換の唐突さよりも、それは衝撃的な宣言だった。驚愕に染め上げられた四対の視線がまじまじとその繊細な造形を見つめる。
「効果に対して半信半疑だったのは、精たちの存在があまりにも稀薄だったから。あるべき姿を保つだけで精一杯なのに、それ以上の恩恵など、期待できるはずもないから」
「……お前、術師なのか?」
「剣士だよ?」
あまりにも当然のように告げられたが、それはおかしい。思わず問い返したゴウもまた剣士だが、ジェイが今口にしたような真似は、天地がひっくり返ってもできないと断言できる。その疑問は残る面々にも共通したものだったらしく、一様に訝しげな視線が向けられる。
「もしかして、君にとっては誰でも術が使えるのが当たり前?」
「術と呼べるほどしっかりしたものじゃないけど、精たちにこちらの言い分を届けることができれば、真似事はできるから」
このぐらいなら、と首肯していたが、それがどれほどの奇跡なのか、きっとジェイは理解していない。これが時代の変遷というものなのかと、レツは胸に重いしこりを感じる。
歴史として、教本で学ばずとも、寝物語にほとんどの人間が聞き知っている事実がある。かつてのこの世界は、幻想種と人間とが隣り合い、共存している豊かな世界だったのだと。失われて久しいその奇跡を求め、垣間見るのがレツたち術師であり、神官であり、巫女である。だというのに、ジェイはそれに市井の誰もが触れられた世界を肌で知っているという。
「羨ましい話だな。僕らにとって術は、式を汲み上げて、パスを通してはじめて使えるものなんだよ」
「……気配があまりにも稀薄だし、精たちの意思が言葉にならないから、そうかな、とは思っていたんだけど」
レツの感想と賛辞に対してそっと柳眉をひそめたジェイは、痛ましげに息を吐く。
「幻想種だけではなくて、精たちの存在まで失われてしまったんだね」
そして、膝の上で組んでいた手を解き、ゆるりと持ち上げた右手の指先を揺らめかせれば、その先にはぼんやりと白い靄が蟠る。
「ここは、それでもずいぶんましな土地みたいだね。正直なところ、ここを出た後の自分が心配だな」
集め、散らし、そんな手慰みを繰り返してそんなことを呟いたジェイは、頭を振って意識を切り替えたようだった。一度伏せ、次に持ち上げられた瞳には静けさだけが浮かんでいる。
「ボクの手の内を説明するよ。君のサーヴァントとして何ができるのか、をね。だから、教えて欲しい。この世界が、一体どんな経緯を辿ってここに辿りついたのかを。どこに向かおうとしているのかを」
それは、生死の境を超えた瞳。他の術師が使役するサーヴァントを見た折、幾度か目にする機会のあった、世界を俯瞰する冷厳たる眼差しだった。