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「………何をしているんだい?」
見ないふりをして通り過ぎることもできたが、気づいてしまった以上は気にかかるし、気にかかったからには答を知りたい。たとえその答が、どれほどくだらないものである可能性を孕んでいたとしても、だ。
「あ、博士!」
「しーっ、しーっ!!」
「こっち来てください! 見つかっちゃうじゃないですか!」
声をかけながら覗き込んでいるだろう方向に顔を向ければ、ぐいぐいと二本の手にばらばらに引っ張られた。方向が同じとはいえ、別方向に引っ張られれば痛い。いい加減いい年で、ただでさえ硬い体が、昔より更に硬くなっている。こんなところでもし変な転び方でもして、ぎっくり腰になったらどうしてくれるというのか。
「何なんだい、いったい?」
「あれ、見てくださいよ」
しかし、言ったところで無駄である。言えば「じゃあ鍛えてください」とか「お酢を飲みましょう」とか言われるのが落ちだ。ないがしろにされているというよりも、信じてもらえないという方向で。
こういうとき、昔取った杵柄は邪魔で仕方がない。かつてアメリカ空軍の外国人部隊でパイロットをやっていました、なんていう滅茶苦茶な経歴、我ながら信じられないのだが、それをいったん知ってしまった何も知らない無垢な一般人は、この身を鍛え抜かれたスーパーボディと勘違いするらしいのだ。
閑話休題。それはまあ、別の話。
言われて今度はそっと、視線だけで示された方角を見やれば、手入れの行き届いた裏庭に、じっとうずくまる金の髪。
「…………何をしているんだい?」
なんだか意外な人物の意外な表情と意外な行動を目の当たりにしてしまい、土屋は己の目を疑う。夢でも見ているのだろうか。
「弱点克服ですよ」
だというのに、思わず漏らした声には、今度はまっとうな返答があった。
「猫と仲良くなりたいんだそうです」
「で、そのためにはまず自分から歩み寄る必要がある、と」
「まじめですよねー」
少年のお気に入りのベンチ。陽だまりの中に堂々と丸まっている余所者の野良猫。見覚えのあるぶち猫は、ふてぶてしく警戒心の強い、近隣の野良猫の中でもあくの強い難敵である。その脇でしゃがみこみ、神妙な表情でそろそろと手を伸ばす本来の主。おちゃめな小学校教諭に付き合った結果、猫を苦手視するようになってしまった悲運の少年。
手を伸ばしては引っ込めて、を繰り返し、ようやくやわらかそうな毛並みに触れることができるかと思ったその瞬間、猫はするりと身を翻して逃げだしてしまう。
「あー」
がっくりと肩を落とす三つの白衣と、がっくりとうなだれる金色の頭。
なんだかとても微笑ましかったので、機を見計らって、弱点克服のためのターゲット選定に失敗しているということを、子供にさりげなく教えてあげようと心に刻んだ土屋であった。
fin.
で、少し違うとはいえ、誰かのために贈られたもののお裾分けに意味もなくあずかるとか、それを託されるとか、そういうのもとても困るのだ。繰り返すが、とても、本当に、ものすごく困るのだ。
「いやぁ、だってさ。僕が持っていても枯らしちゃうだけじゃないか」
「そうそう。大体、適材適所、という言葉があるだろう?」
「向き不向きに年齢は関係ないからね。ようは経験と相性、すなわち天賦の才ってやつだよ」
「ああ、いいこと言いますね。まさにそれですよ、天賦の才」
「そういうこと。だから、君が気にすることはないんだよ」
まったくもって見事なチームワークを発揮して、ね、と異口同音に念押しされる。
相手が念押しであると言い張るため「念押し」という表記を用いることへの反論は諦めたが、内実は「ごり押し」だとか「ダメ押し」だとか、そんな感じである。
「大体、博士だって気にしないよ」
「というよりもむしろ、博士に渡す分も、同じ運命を辿ると思うね」
「賛成票を追加一票で」
「こちらからは組織票を入れましょう」
「というよりも、どうしていまさら気にするのか、っていう方が気になるよ。毎年のことじゃないか。今年は何かあったのかい?」
「………いえ、別に特に何かがあった、というわけではないんです」
というか、現在進行形でこうして用意した花束が一箇所に終結している段階で、何かあったとみなして欲しい。まあ、言われてみればたしかに毎年のことなので、これはおいておくとして。
ただちょっと、学校でも、せっかく担任の先生にみんなで花束を贈ったのに、枯らしてしまっては申し訳ないから、と、そのまま渡し返されたそれを持ち帰って活け終わって、ちょっとだけ複雑な気分に浸っていたところに追い討ちをかけられた、というだけで。
「どうして花束は贈り物の定番なのに、受け取った本人の手元になかなか残らないんでしょう?」
「それは、アレだよ。ハードルの高さの問題だ」
「そうですか?」
「そうだよ」
要するに、花束は処理に困るから贈り物としては不適当という結論に至るべきなのか。そうか。
ならば、来年からは年度末の労いに用意していた花束は却下。何としても適度なハードルの贈り物を見繕わねばなるまい。
別のものでそれなりに見栄えがして贈り物に相応しくてお値段もお手ごろな何かなど、まるで見当もつかない。花束をランク外にしただけで、難易度が劇的な上昇を見せる。
「ああ、なるほど」
たしかに、ハードルの高さの問題だった。
fin.
「どうかしたかい?」
「あ、いえ」
歩きながらちらちらと伺っている以上は前方になどほとんど注意を払っていない様子だった子供は、しかし、背中にぶつかる半歩手前で立ち止まる。そして、そのまま背後へ一歩。おかげで二人の間の距離は、立ち止まる前よりも半歩余計に開いてしまった。
「何かいたのかい?」
開いた距離が淋しくはあったが、いかんせん子供は可愛らしさがわかりにくい上、素直さに欠ける。悪意は倍加、皮肉は正しく、好意は裏返しで受け取るのだ。無意識だろうその動きに下手なことも言えず、土屋は最初の疑問を優先した。
ぐるりと見渡しても、目に映るのは若葉と蕾と気の早い花弁のみ。子供の気を引いた存在がわからなくて、悔しくて、いっそとりまく世界に嫉妬する。お前たちなんかより、自分の方が子供を愛しているのに。
「いいえ、なんでも」
「そうかい?」
呼吸をふたつ逃して、子供は静かに首を横に振った。いまだに遠い距離がもどかしくて淋しかったが、土屋もまた、溜め息をふたつ飲み込んで首を縦に振ると、行こうかと呟いて再び歩きはじめた。
視点を進行方向に戻す前の刹那。網膜に焼き付いた薄紅の花びらの向こうで子供の唇がゆうるりと弧を描くのが見える。
できることなら、弓形にしなる両の瞳も見たかったと。土屋は、子供の笑みを誘った花弁に嫉妬しながら、二人の距離を縮めるべく、気付かれないように歩調を緩めた。
fin.
トランスポーターを止めるやいなやで駆け下りてくるちびっ子三人組がいない。
それを叱り飛ばすチームリーダーの怒号が聞こえない。
やんわりと慰める穏やかな声が聞こえない。
低く静かにたしなめる声が聞こえない。
「みんな? 着いたよ……?」
「おやおや、これはこれは」
ふたりで顔を見合わせながらのぞいた車内には、ソファーで肩を寄せ合って、ぐっすりと熟睡中の六つの寝顔。
「よほどお疲れだったのでございますね」
「そうですね。しかし、うーん」
起こすのは忍びないし、このまま寝かせておいて、風邪など引いてもらってもかわいそうだし。
「手分けして、お部屋にお連れいたしましょうか」
「そうですね」
ふたりで顔を見合わせて、相好を崩す。どの寝顔もみんな、本当にかわいらしくて。
――やっぱ星馬烈は速いよなぁ。
――ぼく、今度はテクニカルマシンにしようっと。
――あ、マネかよ!
――おれもそうするんだ!
――……じゃあ、おれも!
――でもさ、鷹羽リョウもすごかったよな。
――カッコいいよな。
――もっと頑張ったら、ああなれるかな?
――お前じゃ無理だって。
――う、うるさいなぁ!!
「リョウくん、人気者だね」
「お前ほどじゃない」
レースが終わって、去っていくレーサーも観客も、みんな興奮した笑顔で口々にトップの二人を称えている。
照れくさいやら嬉しいやら、とりあえず、浮かぶ表情は同じ。
「兄貴? おれに慰めの言葉とかは?」
「そうだな、セッティングの何たるかについて、後でじっくりお兄様が教えてやるよ」
コースアウトでリタイアした情けない弟には、掛け値なしの明るい笑顔が向けられる。