文字通りの掃き溜め。覚書とも、下書きとも。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
息苦しさに耐えること自体は、肌に馴染んだ行為だった。
押し殺して、包み隠して、それで微笑みを貼り付けているのは、実に息が詰まるから。どうしようもない感情の奔流をさらけ出すには、まだ勇気が足りない。さらけ出したところでなんになるのか。なにを得て、なにを失うのか。
それがわからないのに、己の最深部に近いそれらを表面化させるなど、恐ろしくてできるはずもなかった。
――君はいつだって、そうやってフィルターの向こうにいるんだね。
悲しげにかけられた言葉の意味を知るのも、まだ早いと思う。
あの表情に込められていたのが、純粋な哀しみだったのか、それとも憐憫の情だったのか。それすらをも疑う自分には、答えを求める権利などないと思う。
それでも、体の奥底でじりじりと燻る熱があることも知っている。
いつの日か、いつの日にか。
あの人の隣で、あの人とまっすぐに向き合って。それで、偽りのない、心の奥底からの笑顔を、貼り付けるのではなく浮かべられたら。
願いは深く、遠く、手が届かない。
怖い恐いと叫ぶ心と、大丈夫だいじょうぶと囁くこころと。
挟まれて揺られて、そして引き裂かれる。
この身がその内をさらけ出す恐怖に引き裂かれ、あなたの隣にさらけ出す望みに引き裂かれ、そしてバラバラになったとしたら。
そうしたらあなたは、どんな視線を向けるのだろうか。
PR
Comment