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街中で知った顔を見つけるのは、例えば互いに近所に住んでいる場合はさほど珍しくもないことであるはずだ。だが、実際に日常を振り返ればそれが存外稀な事象であることをなんとなく再認識し、烈は偶然という言葉に瞬きをひとつ送る。
登下校の時間帯とか、そういう特殊な条件は一切付加されていない。なんでもない休日の、なんでもない昼下がり。家族で買い物に出た先、昼食を食べ終えてレストランフロアからエスカレーターで下る際に視界の隅をちらついた金色に、烈は小さく「あれ?」と呟いて手すりに体重をかけた。
危険なこととは知っているし、あまり派手なことをして自分の身を危険に曝すつもりはない。心持ち身を乗り出して目を凝らせば、やはりあの稀有な色彩は良く知る友人のものだろう。たしなめる色の強い母の呼び声に生返事を返し、それから烈は寄り道の許可を請う。
文具と雑貨が入り乱れた陳列棚をすり抜けて進む。休日ということも手伝って多くの客でごった返す店内は見通しも悪く通り抜けづらい。それでも、黒とか焦げ茶とか、同系色が大半を占める中で、見つけた金色は良く映えた。同じものを見つけたらしい弟と一緒に小走りに進み、顔が見えたところで烈は声を上げる。
「Jくん!」
「よっ、J!」
「烈くん、豪くん?」
ざわめきに掻き消されるかと思った声は、しかし、きちんと相手に届いたらしい。弾かれたように振り返り、Jは大きな瞳を一層見開いて驚愕に染まった声を返してきた。
「こんにちは。買い物?」
「こんにちは、烈くん。そうだよ。二人も?」
「おお。父ちゃんと母ちゃんと、レストランでオムライス食ってきたんだ」
「そっか」
ぺこりと会釈を交し合った年長二人の横から豪が言葉を挟めば、Jは双眸を眇めてふわりと微笑む。そして、遅れて追いついてきた星馬夫妻に折り目正しく頭を下げ、「こんにちは」と挨拶を送る。
「お使いかい?」
礼儀正しい子供に掛け値なしの笑みを返し、二人の母は穏やかに問いかけた。そういえば、Jの周囲に見慣れた優しい笑みがない。自立心を尊重する一方で過保護な一面もみせる保護者だから、治安がいいといえない昨今、時間があるならきっと一緒に出かけたがるだろうに。ふと湧いた疑問に烈が小首を傾げていれば、Jは表情をはにかみ顔へと変えながらゆるゆると首を振る。
「今日は、学校の行事のための下見なんです」
クリスマスにチャリティーバザーをするから、その材料と予算編成のための。言って振り向いたJが手で示す先には、髪も瞳も肌の色も様々な幾人かの子供たちが興味津々といった様子で遣り取りを眺めている。
「ごめんね。もしかして、邪魔しちゃったかな?」
「そんなことないよ」
横合いから口を挟んだ烈にやわらかく苦笑を返し、でもそろそろ、とJは別れの挨拶を切り出す。
小さく手を振って友人らの元に戻ったJは、ちらちらと視線を送る彼らに耳慣れない言葉で何ごとかを告げている。
「すっげー、エイゴ喋ってるのか?」
「国際色豊かなお友だちだね」
感心しきりで不躾に見やる豪を促し、良江はひどく懐の深い感想を残して踵を返す。それに従って方向を転換しながらも、烈の意識もまた背後で交わされる異国語による会話に傾けられている。
耳に届く声は無邪気に弾んでいて、日頃の落ち着き払った印象と少しばかり違うものだった。自分たちと一緒にいるときのJが無理をしているとは決して思わないが、もしかして、あちらの友人たちの方が好きなのかなと、烈はほんの少しだけ心に陰が生じるのを感じる。
元々の目的地だったのか、声は場所をさほど移動せずに何か話し合っているようだった。エスカレーターに乗り、仕切りのガラス越しにちらりと見やれば、やはり黒や焦げ茶が中心の髪色の中で彼らはひどく目立つ。
と、動きはじめた視点の先で、中でも鮮やかな金の髪が気まぐれのように振り返る。ぴたりと視線が絡まりあい、照れたように相好を崩したのはほぼ同時か。小さく手を振りながら口の動きで「またね」と告げられ、烈も手を振り返しながらこくりと頷く。
フロアの床が迫ってきてあっという間に友人の姿は視界から消えてしまったが、からかう色の強い声が集団になって響いてくる。言葉はわからずとも、そういった声が何を伝えるものかはよく知っている。照れている相手をからかって冷やかす類の、お互いの肯定を前提としたじゃれあいだ。
だとすればきっと、Jは自分のことを彼らに前向きに説明してくれたのではないかと烈は照れくさいようなむずがゆいような、不思議な気分になる。
次に会ったら今日のことを聞いてみよう。それから、機会があったら彼らと友だちになれると嬉しい。浮上した気持ちにふわりと口元を綻ばせ、烈はステップからフロアへと軽やかに飛び移った。
Fin.
*****
サイトの更新するにはいじりかけのページがあまりにも酷いから、こちらにアップ。
久々にレツゴのお話を書いたけど、やっぱり彼らは愛しくて仕方がないと再認識しました。
映像にノイズが走るが、その音は聞こえない。何の音もない、ただ、古びたフィルムを回し続けてできたような光景だった。
座り心地が決して良いとはいえないクッションに腰を下ろし、Jは一人でスクリーンを見つめている。
観客は一人きり。フィルムを回しているのもまた自分自身であり、その他の人物はこの空間には存在しない。
すべてが鮮明に把握できる、不可思議な状態だった。
夢を見ているのだ。そう、漠然と悟った。
スクリーンに映る光景の視点は低い。限りなく地面に近いところから、常に上空を見上げている。差し伸べられるやけに大きな手のひらの向こうは、逆光になっていて見えない。
誰だろうか、と思うよりも、あの人だろう、と思った。
ごつごつした手はあの人で、細くてやわらかい手はあの人。しわだらけの手はあの人かあの人で、見分けるポイントは大きさと差し伸べるときの勢い。それはすべて、自然と刻まれた記憶であり、失われるのはもっとずっと先のことだと思っていた。
性能の悪いカメラで映したような、やけに雑な映像。色はなく音もなく、いったいどの場面を切り取って眺めているのかもわからない。静寂を保って光を揺らめかせるスクリーンをぼんやりと眺めながら、Jは思う。こんな座席からさっさと立ち上がって出口に辿り着くか、もしくは映写室まで行って、フィルムを回している自分を殴り飛ばしたい。使えば使うほど、フィルムは傷むのだ。この馬鹿げた無声映画の上映が重ねられるほどに、貴重な記憶が薄れていったらどうしてくれるのか。
八つ当たりにすらならない理不尽な殺気にすりかえられた、それは底抜けの恐怖だった。
逃れたいと思って身じろげば、座席はいつの間にか材質が変わり、ずぶずぶと体を飲み込むあり地獄と化していた。己を中心として放射状に広がる砂のすり鉢は、スクリーンにも手を伸ばす。無秩序に流れ続ける映像が、端から微細な粒子となって零れ落ちる。
体が動かなくなる恐怖よりも、スクリーンが崩れ落ちることへの恐怖の方が大きかった。許される限り目を見開き、気づけば無音の空間に悲鳴が木霊している。幾重にもエコーがかかって戻ってくるその悲鳴は、己の声と、聞き覚えのない声との多重唱。
覚めない悪夢はいつまでも。
やさしい夢の続きは見られないのに。
あたたかい夢の続きは見られないのに。
残酷な夢は、いつでも続きを突きつける。
悲しい夢は、いつまでも渦巻き続ける。
言葉というものが、嫌いだ。
声に出したそれは空中へと散り散りに消え、どんなに愛しくても、残しておくことができない。一方で、残酷に心を傷つけるそれは、どんなに忘れたくても、ずっとどこかに刺さったままである。
紙に書きとめられたそれは、たとえば印字ならば、味気ないし冷たいし、重くて軽いものになってしまう。そのすべてが、肌を焼くようで、内臓を凍らせるようで、好きになれない。
手で書かれたものはもっと辛い。筆跡ひとつとっても、そこには言葉の持つ意味以上のものが含まれる。汲み取るまいと思っても流れ込んでくるのは、拷問だと思う。
そしてなにより、油断させられる。
形を持つから、目に見えるからとうっかりしていたら、それはあまりにあっさりと消え去ってしまう。その瞬間が怖くて、嫌いだった。
目に見えないものを形にするのも、形にならないものを定義するのも、結局は言葉の役割だ。だから、嫌いだった。
誰にも、正しい定義などわかるわけがないのに、知った風な振りで言葉を振りかざす。
逆に問うてみたい。
ボクの心を、どうやって言葉にしますか。
あなたの思いを、どうやって言葉にしますか。
それで足りるのですか。それしきで、思いの丈はすべてで、心の内は終わりなのですか。
否としか答えられないのに、そんなことには目も向けないで言葉を操る。言葉をもってボクの心を踏みにじり、ボクの思いを引きちぎる。それをまるで知らないか、あるいはむしろそれを目的に、鋭利な言葉を選ぶ人ばかりだった。
だから、言葉というものが嫌いだ。
少なくとも彼に会うまでは、とてつもなく嫌いだった。
使わないものは、忘れてしまう。
ずっと見向きすらしなかったから、いまさら言葉を駆使することを要求されても、困るだけだった。
必死にいろいろな単語を用いて、それだけでは飽き足らず、表情も変えて、手振りや身振りも添えて。とにかく、ありとあらゆる手段を使ってボクに向き合ってくる彼を見るたび、疑問が渦巻くのを感じる。
彼の言葉は、やさしかった。
氷の表面を引っかいて傷をつけるものではなく、そっと、熱すぎない程度のぬくもりで触れて、ゆるゆると溶かすものだ。
反応の仕方がわからずに黙っていると、彼は更にやさしくてあたたかいそれを積み重ねる。凍ってしまったボクは、そのぬくもりに埋もれて溶けてしまうのではないかと、恐怖に包まれる。
やわらかい表面には傷がつきやすいから、硬くする必要があるのに。
彼は、それをわかっていないのだろうか。
傷をつけないと油断させて、溶けてやわらかくなったところで、大きな傷をつけるつもりなんだろうか。
やっぱりぐるぐると渦巻く猜疑心の中に、ボクは信じがたい声を聞く。
でも彼は、本当に傷つけないかもしれない。
言葉を返してみたら、彼はどうするのだろう。跳ね返っても傷つかないようにと気を配る、当たり障りのない返答ではなく、心を織り交ぜた言葉を。
気づけば空っぽのボクの中に蓄積している彼の言葉と、そこに織り込まれているらしい彼の思いに、凍っていたはずの好奇心が疼く。
いつの間にか、気づかないほど穏やかなペースで、心が溶かされかけているのを知る。
そしてボクは、恐怖と歓喜とに震える心を知る。
向けられる、降り注ぐ言の葉に、ほんの少しだけ、好悪のベクトルが角度を変える。
言葉というものが嫌いだ。
そのセリフの前に、「かつて」という単語をつけられるかもしれない。
可能性に向かって、0.1度。
言葉というものが、嫌いではなくなりそうだ。
彼が毎朝、早くに部屋を抜け出し、どこかに足繁く通っているのは知っていた。
「はい、もしもし――」
同時に、彼がそれを自分に気づかせないよう、気づかれたとして、怪しまれないよう心を砕いているのも知っていた。だから、本当はどこに行っているのか、なにをしているのかが気がかりで仕方なかったけれど、気づいてもいぶかしんでなどおらず、彼の自由な行動を尊重している振りをしていた。
「え?あ、はい!」
そんな日常の中に降ってきた非日常。それの到来を告げたのは電話のベルで、とってみれば、思いもかけないところからの連絡だった。
穏やかに淡々と話をしてくれる相手は、年かさの女性だろう。落ち着いた口調に、焦りの渦巻く内心を宥められるのを感じながら、彼は場所がわかるかと問う声に即座に否定の返事を送る。
簡単に目印を示しながら、道順を説明してくれた彼女に丁重に礼を述べ、彼は慌てて部屋を飛び出した。
飛び出して、玄関まで小走りに進んで、そこで思い直してもう一度取って返した。
いくら夏の名残でまだ暑いぐらいの日が続いているとはいえ、朝夕の冷え込みはそこそこにある。自分の上着と、それからもう一着、別の薄手の上着を引っつかんで、改めて道路へと出た。
言われたその教会までは、遠いとはいわないものの、近いともいえない距離だった。朝のひんやりと静やかな空気を肺腑いっぱいに取り入れながらたどり着けば、扉の前に、修道服を身につけた女性が佇んでいるのが見える。
「あの」
「ああ。お呼びたてして、申し訳ございません」
「いえ、こちらこそ、ご連絡をありがとうございます」
丁寧に頭を下げてくれる相手に慌てて腰を折ると、彼は不安げに視線を厳かな空気を放つ扉へと投げかける。
「彼は?」
「中に。いま、別のシスターがついています」
「そうですか」
ありがとうございます、と改めて頭を下げ、男は中に進もうとした。
「あの子は――」
扉の取っ手に手をかけたところで追いかけてきた声に、男は首から上だけを振り向かせる。
「あの子は、ここに夢を見に来ています」
落ち着き払った声は、不思議な単語を紡いだ。
「辿ることのできない軌跡を求め、思い返すことのできない時間に懺悔の祈りを捧げています」
天気が良かろうと悪かろうと。たとえ、体調が優れなかろうと。子供がこの習慣を欠かすことはなかったという。その行き着いた結末のひとつが、今日のこれだ。
つと、男は息を呑んだ。
それは、彼が誰にも言おうとしない過去の一端への手がかり。知りたいと願い、それは許されないと戒める、男の内心に答える言葉。
「わたくしは、詳しいことは知りません。あの子は語ろうとせず、わたくしは問いません。だからすべては、憶測に過ぎないこと」
穏やかな、たおやかな、そして底知れないやさしさを孕む声は、静寂を乱すことなく、ただ空中へと溶けていく。
「その憶測の上で、どうぞ、でしゃばりだと思ってもこれだけは言わせてください」
やわらかく、強い言葉。その相反する思いやりを自分が身につけられればと、男は羨望を覚える。
「あの子の、拠りどころになってあげてください」
向けられる視線はただ穏やかで、無理を強いようとはしない。あの子はひとりではない。こうして、思いを寄せてくれる人がいる。それを知ることができて、男は嬉しかった。
黙然と頷いた男に、やはり黙って微笑み返し、彼女は扉のうちへと共に進む。
「ひとりではないのだと、教えてあげてください」
「はい」
荘厳さに彩られた、静かな空間。
整然と並ぶ長いすに座り、目指す相手は背を丸めていた。その隣に座っていたもうひとりの修道服姿の女性が立ち上がり、微笑みかける。
そっと背中に上着をかけてやり、起こさないように抱き上げて。男は連絡を取ってくれたことに改めて礼を述べ、子供をつれてその教会を後にした。
カメラをもらった。というか、カメラを発掘した。
それなりに古い品で、大きさの割りに重たくて、ごつくて、デザインも洗練されていない。それでも、あの独特の形状とレンズから、カメラだということはすぐに判断できた。
なぜこんなものが、という疑問は、抱かないことにしている。ここには案外、そういう存在意義を疑いたくなるようなものがごろごろ置いてあって、誰も気に留めてなどいない。誰もが気にせず通り過ぎている品に、わざわざ理由を求めることは、お互いに疲弊を招くだけだと、最近知った。
置いてあったところで、そこには特になんの意義もないけど、思い出やそのほか、心の欠片が詰まっている。
そういう存在も必要なのかもしれないと、考えられるようになってきた自分は、成長したのではないかと思う。
これにはどんな思いが込められているのかと、持ち出して問うてみたら、「一時、写真に凝ったことがあってね」とあいまいに目を逸らされた。どこか照れくさそうな笑顔から、それがきっと、挫折した趣味なのだろうと察する。
「そうだ、君にあげよう」
好きなものを写して、それを通じて自分の内面を見つめるきっかけにしてごらんと、彼はやさしく微笑んだ。
この小さな古ぼけた機械をきっかけに、自分がもう少し、成長することができればいいと思う。
礼を述べて、部屋に持ち帰って、そして外に出かける準備をしてみる。
さあ、もう一歩、前へ進もう。